滋賀県犬上郡多賀町移動顛末記


2003年9月20日滋賀県犬上郡多賀町山中で、車が赤土の中をスリップして身動きができない状態になりました。

何故滋賀県多賀町なのか
 2003年の滋賀県内全市全郡を430MHzSSB移動もあと犬上郡と滋賀郡を残すのみとなりました。
 今までの犬上郡の移動運用地はほとんど平地の豊郷町で行っていましたが、最近の430MHzSSBの移動運用は、よほど珍しい所でなければ声がかからないという傾向があります。
 犬上郡は2005年2月に彦根市と合併して消滅するということもあり、各局が未交信であろう多賀町からQRVするためです。

多賀町とはどんなところなのか
 鈴鹿山系の西側に位置し、東方面は非常に厳しい地形です。 こちらの地図を参照してください。
 地図の霊仙山(1085m)から御池岳(1,239m)まで壁のような稜線が連なっていて、その稜線まで通じている道路は1本もありません。
 多賀町内に稜線よりも高い山はあるのですが、そこも車では行くことができないようです。

それでも行きました
 9月20日16時QRVを目標に、運用場所を探すべく永瀬さんのスターワゴンと私のスペースギアを連ねて出かけました。
 カシミールであらかじめの候補地を挙げていたのでまずそこに向かうことにしました。
 林道は地図に描かれている終点と思える地点よりも先まで作られていましたので、東方面に開けていることへの期待と共にさらに林道を進みました。
 そしてその林道の終点に到着した時、その期待は見事に裏切られました。東側は杉木でさえぎられていました。
 しかし、よくみると杉の木々の間から東の空が見えているのです。ここで一旦アンテナを上げるか?
 でもQRV開始予定時間まで時間は十分にあります。
 車から下りて周囲を観察すると、草むらに轍。その先に車1台がやっと通れるほどの道が続いています。
 この道を見つけたことがこれからの長い一日の始まりとなりました。

そしてスタック
 私の車を林道に残し、永瀬さんの車で杉林の中で木の間をデリカがやっと通れる道に入りました。
 しかし、途中から私が徒歩で先導しましたが、この先に進んでも運用場所の見込みがないので、強引にUターンをして引き返しました。
  底に水溜りがある坂を下りて、登りにかかった途中で、さすがのデリカ4駆も濡れた赤土でスリップをして上がることが出来ませんでした。
 一旦バックして再度上がろうとアクセルを踏んだ時に、車は谷の方へと滑り出し脱輪寸前で止まりしました。
JAFを呼びましたが
 幸い携帯電話が繋がる場所がありましたので、JAFに連絡をして来てもらう事にしました。場所を説明しましたが、分かりにくいということなので途中の峠まで迎えに行くことにしました。
 やがてJAFのレッカー車が現れ一緒に林道を登り始めましたが、もう少しというところで「もうだめ!」とレッカー車は悲鳴をあげました。
 その後、車のところまで徒歩で来てもらいましたが、JAFでは不可能という結論に達しました。

友達って良いもんだ

 ここで、友人K氏にSOSの電話をしました。幸い在宅していたので430MHzFMで事情を説明しました。
 「なぜ、そんなところに行ったんや」「そないこと言われても、あんたも無線家やたったらわかるやろ」「・・・まあ、わからんこともないけど」てな会話の後、大津市から駆けつけて貰うことにしました。
 ここまでは高速道路を使っても2時間近くかかるので、私たちはすることもないし昼飯も食べていなかったので、ランチタイムに入りました。 やがて、友人が到着して脱出作業がはじまりました。
 フロントにロープをかけて手動のウインチを取り付けました。
 リアは車が谷側に滑り落ちないようにロープをかけました。
[左の写真はこちらに向かって上り坂、道はぬかるみ、向かって左側は谷で自力では脱出不可能です。]
  
[右の写真リアの右側は脱輪寸前、左側は泥の中、リアバンパーは地面すれすれです。]
 フロントにロープをかけて手動のウインチを取り付けました。
 リアは車が谷側に滑り落ちないようにロープをかけました。
 そして、フロント側のウインチを巻きながら車を前進させようとしましたが、タイヤが赤土にスリップするだけで、まったく動こうとはしませんでした。
 何度か試みましたが結局脱出はできないため、この日はあきらめることにしました。
 そして地元のサルベージ会社に連絡をしましたが、レッカー車が入っていけないようなところでは、費用が幾らかかるかわからないと言われてしまいました。
 そこで再度K氏の助けを借りて、ユンボとそれをここまで運ぶ車と運転手の手配をしてもらいました。
 脱出予定日は5日後の9月25日、その時は再度K氏も立ち会ってくれるとのこと、持つべき者は友達です。
 車が谷に落ちないようにロープで固定をして私たちは山をおりました。
 帰路、念のために彦根警察署に寄って届出をしておきました。



心配なので・・・・
 9月23日、車がどのようになっているのか心配なので2人で見に行きました。
 車は無事に停まっていました。
 私たちは車からテーブルといすを持ち出し、林道に停めている私の車に戻り、鶏なべで昼食をとりました。
 満腹になったところで時間もあるので、ロケハンを続きをやることにしました。懲りないふたりです。
 今回は林道の別れ道にいきなり車を入れず、まず徒歩で偵察をするということで行いました。
 カシミールであたりを付けていたのですが、樹木が邪魔をしてこの林道では良い運用場所が見つからなかったので、一旦山を降りて他の林道のロケハンを行いました。結局多賀町内では東向けの良いポイントは見つかりませんでした。
 帰りの車の中で永瀬さんが一言、「今日の目的は何? 車の状態チェック?鶏なべ?それともロケハン?」
 私、「そりゃ車の状態チェックでしょう、心配だから」

救出作戦延期

 9月24日朝から雨、仕事で名神高速の彦根を通過したところ激しい雨が降っていました。明日も雨らしい。
 夕刻、救出作戦の実行を1日延期して26日に行う事を決定。この雨で途中の林道と車の状態が心配です。


救出作戦開始
 2003年9月26日(金)救出作戦の実行日です。
 地元栗東市内の重機レンタル会社からユンボを借り受け、友人K氏が手配した3tトラックに積み込んで、ユンボの操作をするK氏、トラック運転手、遭難車の持ち主の永瀬さんと私の4人で8時30分に出発しました。 前日及び前々日降った激しい雨のおかげで林道はしっかり水を含んで滑りやすい状態になっています。
 あと少しで林道の終点というところで、トラックがスリップしてそれ以上登ることができなくなり、積んでいたユンボを降ろしてUターンができるところまで押して行きました。
  
ユンボに押されるトラック               ユンボの勇姿?
 
林道の終点から、遭難車デリカが置いてある所までユンボを先頭に進みます。
 この道は林道以上に水を含んでいて、長靴で踏んだ土からは水がしみ出てきます。
 遭難車デリカはロープで縛られた状態でいましたが、こころなしか傾きが大きくなっているように思われました。
   

正しい?脱出方法

 まず、進行方向を塞いでいる土をスコップで取り除きます。
 そして、フロントとリアを確保している綿ロープをワイヤロープに取り替えるために、山側の斜面に登ります。
   
 
 リアとフロントにかけたワイヤロープと、それぞれに取り付けた手動ウインチで車を山側に引きます。
 そしてユンボのバケットにワイヤを繋ぎ、そろりそろりと引っ張りだします。
 この時車はニュートラルで、駆動はかけません。
 ユンボのアームの動きに合わせてハンドルとブレーキ操作のみを行います。
   
 ウインチで山側に引く、ユンボのアームで前に引く、稼動範囲一杯になったウインチを付け替える、また引くを繰り返しながらそろりそろりと引き出すこと1時間30分、やっと引き出すことに成功しました。
 引き上げてはみたものの、ここから林道終点の山道をデリカが自力で走ることは無理があります。
 そこで、ユンボでそのまま引っ張っていくことにしました。
 徒歩5分の距離を50分かけてやっと林道の終点にたどり着きました。


デリカのタイヤは泥だらけで、年末にしか洗車しない持ち主もかなり気にしていました。

 そして林道を抜けて麓まで降りて来た所でパンク。
 今回JAFを呼んでも役にたたなかったので、持ち主は「JAFを呼ぶぞ!」とわめきましたが、JAFがここに来るまでにはタイヤ交換は終わってしまうので、そそくさと交換作業をしました
   
 ということで救出作戦は無事終了いたしました。

そして教訓

 移動無線運用は悪路走破が目的ではない。無理をしないこと。
 危なそうな道は車より先に徒歩で確認すること。
 そんなことより、天候がすぐれないときは最初から行かないこと。

 うちのカミさんから一言:20歳そこそこのガキじゃあるまいし、歳を考えなさい。(えろうすんまへん)

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